”マイケル”と再会した翌日、仕事から帰るとマンションの階段踊り場に”マイケル”がいた。
「ちゃんと自分のおうちに帰らないと、おうちの人が心配してるよ」
声をかけても足元にまとわりつく”マイケル”。
どうやらふにゃの帰りを待っていたようだ。
「ちょっと待っててね」
声をかけてスーパーへ駆け込み、猫缶なるものを購入。家に招き入れて、食べさせる。
後に読んだ猫本、「猫の幸せな生活」加藤由子著によれば、「猫は『楽をすること』を求める動物」だという。楽を知ってしまったら、元に戻れない。これは猫に限らず全ての動物にいえることだ。野良猫に一度えさを与えると、毎日来るようになる。これも「楽を求める」結果。苦労せず、エネルギーも使わずにおなかがいっぱいになるほうが、誰だっていいに決まっている。
ただし、一度でも楽をしたら、もとに戻るのはとても辛いことなのだ。だから、安易に野良猫にご飯をあげたりするのは、逆に酷な行為なのだ。 あまりに無知なその頃のふにゃは、こうしたことをまったく分かっていなかった。
その翌日の朝、仕事へ出かけようとマンションを出ると、ごみ置き場のポリバケツの間から”マイケル”が顔を出す。
「ここにいたらだめだから、早くおうちに帰るんだよ」
そう声をかけて出掛けたのだが・・・・・・。

帰ってくると、マンションの階段の所でお隣の奥さんが、”マイケル”に話しかけていた。
なぜか手にはドッグフード・・・・・。
「この猫ちゃん、ずっとここにいるのよね。ここにいたら駄目だからって、ご飯で釣ってみたんだけど、やっぱりドッグフードじゃ駄目よね」
あららららら・・・・・。
もしかして、ずっとふにゃの帰りを待っていたのか。そこへ連れ合いも帰ってきた。
お隣さんは、当時住んでいた賃貸マンションの大家さんのお友達。ペット禁止だったのだが、大家さん公認で犬を飼っていたのだ。ペット禁止になっているのは、不動産屋さんに言われてそうしているだけで、別に大家さんは気にしてはいないという。事実、この先しばらくして、ペットを飼ってもいいとのお達しが不動産屋さんからもあった。
とりあえずは、猫がそこにいてはほかの住人の迷惑になるので、部屋の中に入れご飯を食べさせる。
と、連れ合いが突然の爆弾発言。
「明日もうちの前で待っていたら、うちの子にしよう。お前、うちの子になるか?」
おいおい、それはちょっとまずいだろ。飼い猫だということは確かだ。飼い主さんが探しているかもしれない。そもそも、猫と一緒に生活するのは老後の楽しみにとっておこうと話し合ったではないか。ふにゃはあまり気乗りではなかった。それに、この猫がうちに居つくとは限らない。
マイコロンと再会してから、電柱などに迷い猫の張り紙でもしていないかと気にかけていたのだが、それらしき形跡はまったく無かった。ちゃんと”マイケル”の飼い主さんが見つかるかどうかは分からなかったが、それまでうちで預かるというのもありか。
連れ合いとそんな話をしながら”マイケル”の様子をうかがうと、
食べるものを食べると玄関のドアの前へ行き、ミャアミャアと鳴く。
なるようにしかならないと思いつつ、ドアを開け猫を外に出す。
果たして明日も”マイケル”はやってくるのだろうか。
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▲ by mycolon | 2007-10-25 19:33 | ねこ | Comments(8)